休みに入って少し時間ができたので、「どうにかしたい」と思っていることを整理しようと考えを吐き出している。 また、直近でマネジメントを学び直すタイミングもあったので、それらを踏まえて思っている事をかく。
私はいつも、提案の中身から話し始めてしまう。
こういうものを作りたい。こう変えたい。こういう体制に時間軸でもっていきたいなど。そうやって具体的な案を持っていく。それで相手が「そもそも何の話をしているのか」という顔をすることが、これまで何度もあった。
そのたびに、案が悪いのではなく説明が下手なのだろう、資料の作りが甘いのだろう、と思ってきた。だから次はもっと良い案を、より具体で課題に結びついた形で。と資料をつくりだす。
これを何回か繰り返してきた。案は毎回それなりに良くなっている気がしていた。それでも同じ顔をされる。
今回、その順番を変えてみようと気づけた。
今まで何度も、これは解くべき課題なのか?本当に重要度の高い課題なのか?と考えながら動いてきたつもり。 課題は課題だが、どこの課題か?という話。
そうではなくて、外側から入る。
自分では変えられないが備えるべきもの。変えられるが時間がかかるもの。その2つが交差するところを探して、そこで初めて「どうなったら成功と言えるのか」を書く。案を作るのは、そこまで書けてからにする。
書く順番を変えるだけの話だ。そのはずだった。
外側の要因から考えていくが、思考がとまる。
外が、見えていない、想像ができない。
同じマーケットにいる企業やサービスがいま何に困っているのか。この先や数年以内に起こりそうなことは何か。3年後に何が前提でなくなっているのか。自分の言葉で書けなかった。
書けたのは内側の話だけだった。中で困っていること、中で足りていないもの、中でこうしたいと思っていること。それを積み上げたものを、私は方針と呼んでいた。
外に左右されない方針があるならそれでいい。でも、たぶんそんなものは存在しない。外を見ずに立てたものは、需要につながらないし、結局は独りよがりになる。
今までも事業ありきで考える、マーケットの接続を考えるという事をしてきたつもりだったが、解像度が低いというやつだ。
案が伝わらなかったのは、説明が下手だったからではなかったのかもしれない。外の話が一言も入っていない案を、中の理屈だけで説明していた。それなら、そもそも何の話をしているのか分からなくて当然。
もうひとつ、痛いことに気づいた。
私は専門職のメンバーと一緒に仕事をしている。彼らが追いかけている技術を、自分もキャッチアップしなければとずっと思ってきた。同じものを理解できれば、彼らをフォローできるし、外の人にも翻訳して伝えられると考えていた。
でも、それは彼らが理解すべき領域だった。私が同じ深さで理解する必要はなかった。 ここについては、わかっていたつもりだった。しかし、気がつくと似たような領域をインプットしている。それはそれで技術の理解が必要な場面も多く、重要なことの一つだ。
しかし、翻訳すべきなのは技術そのものではない。事業と、外と、中。そのあいだをつなぐことが、私に求められていたことだ。技術を細かく理解することが翻訳だと思い込んでいた時点で、見ている方向がずれていた。
自分では、真面目にキャッチアップしているつもりだった。つもりだっただけに、ずれていたと気づくのに時間がかかった。
整理して出てきたのは、課題の一覧ではなかった。
出てきたのは、自分の考え方の癖のほうだった。案から始める。中から始める。手が届く範囲から始める。どれも、いちばん動きやすいところから手をつけているだけで、いちばん効くところから手をつけてはいない。
これは、やる気や時間の問題ではないと思う。順番の問題だし、視野の問題だ。書き出してみるまで、自分ではまったく見えていなかった。
一つ良かったのは、それが書き出したことで見えたという事実のほうだ。頭の中でぐるぐる考えていた中では見えなかったものが、アウトプットするなかですぐに見えた。
というわけで、休みの間にやることが決まった。
まず、自分が動いている領域を記憶ではなく記録から捉える。そのうえで外側の要因を探る。それから内側。交差点を探すのはその後で、案を作るのはいちばん最後。
やってみたら、思っていたのと違う結論になるかもしれない。そのときはそのときで書く。
案を磨くのは、しばらくやめておく。
